大阪市西区・九条で75年続く鉄鋼会社『田村商店』。
現在は、工場で出る廃材を活用したアップサイクルブランド「TEPPEN」の活動でも注目を集め、大阪・関西万博関連プロジェクトや企業コラボ、地域連携など、その活動領域を大きく広げています。
2022年、美想空間は、この田村商店の町工場オフィスコンバージョンをお手伝いさせていただきました。
完成から数年。今、この場所には、学生やクリエイター、企業、行政関係者など、さまざまな人が集まっています。
なぜ、この場所は生まれたのか。そして、なぜここまで人を惹きつける場所になったのか。
専務・田村友紀晃さんと、奥様でありアップサイクルブランド「TEPPEN」代表でもある久美さん、お2人にお話を伺いました。

「人が集まる場所をつくりたかった」
今回のプロジェクトは、単なる“工場リノベーション”ではありませんでした。
ことの出発点は、友紀晃さんの「人が集まる場所をつくりたい」というシンプルな想い。その背景には、長年製造業の現場にいたからこその違和感がありました。
「今年も厳しい。」「来年はもっと悪い。」
鉄鋼業界の会合では、そんな話ばかりが並び、現実として厳しさはある。でも、“希望”の話があまりにも少なかった。
「なんか、前向けるものが必要やと思ったんです。希望って必要やと思うんですよね。」
インタビュー中、友紀晃さんがぽつりと話したこの言葉が、とても印象に残っています。
町工場で生まれ育ち、鉄鋼商社を経て家業へ戻った友紀晃さんは、当時の田村商店には“未来へ向かう空気”が足りなかったと振り返ります。
だからこそ考えたのが、「人が集まる場所をつくる」ということでした。
明確な事業計画があったわけではない。ただ、“いい人が集まれば、きっと何かが始まる”。そんな感覚を信じて進めたのが、この工場リノベーションだったのです。



「町工場っぽさ」を、消さなかった理由
今回、美想空間がリノベーションを担当した田村商店の空間は、いわゆる“工場をカフェ風に変えた空間”ではありません。むしろ逆でした。
鉄、無骨な素材感、使い込まれた鉄骨、工場特有の匂いや空気感。
そういった“町工場らしさ”を、どう今の時代へ翻訳するか。その視点が、このプロジェクトの軸になっていました。
元々この場所には、高い天井、床下収納として使われていた開口部、工場ならではのスケール感が残っていました。普通なら撤去されるような要素を、今回はむしろ積極的に空間資源として活用しています。
床開口部は植栽スペースへ。
既存鉄骨はディスプレイへ。
工場の記憶を残しながら、人が滞在できる余白をつくっていく。
そうして完成した空間には、“綺麗に整えたショールーム”とは違う、受け継がれてきたリアリティがありました。
ただ、完成当初は戸惑いの声もあったそうです。
「こんなん入りにくいやん。」工場の職人さんから、そんな言葉をかけられたこともあったと言います。
ですが、そのぐらい明確な“違和感”だったからこそ、後戻りはできなかった。少しずつ、でも確実に、この場所の空気は変わっていきました。



“夫婦力”が変えた、「場」の空気
今回の取材で、とても印象的だったのが、お2人の関係性でした。
田村商店の発信でもよく見かける「夫婦力」という言葉。この言葉は、ある知り合いの方から贈られた言葉だそうです。「あなたたちは、夫婦でやってること自体が強みや。」そう言われたことが、一つの転機になったと言います。
実際、“ご夫婦の空気感”はとても大きな魅力です。でも、お話を伺っていて感じたのは、単純に“仲の良いご夫婦”というものではありませんでした。
お互いにできること・できないことがはっきりしていて、それを自然に補い合っている。どちらかが主導権を握っているというより、“相手の特性をそのまま受け入れている”。その空気感が、そのまま「場の空気」にもなっているように感じました。
実は当初、久美さんは、この計画の詳細をほとんど知らされていなかったそうです。「下でガタガタ工事してるな〜ぐらいでした(笑)」と。
さらに、当時は、“奥さんは表に出ない”という空気も強かったというので驚きです。「職場に来る時も、裏から入って裏から出る、みたいな感じでした。」
そんな久美さんが、後にアップサイクルブランド「TEPPEN」を立ち上げ、企業コラボや万博関連プロジェクト、地域連携へと活動を広げていくことになります。
75年続く会社を変えるというのは、簡単なことではなかったはずです。
それでも前に進められたのは、友紀晃さんの「まずやってみる」という意思の強さと、その先で起きる変化を受け止める柔軟さがあったからなのかもしれません。


“ひらめきオバケ”の誕生
そして、子供のころは工作が大好きだったという久美さんの”ひらめき”が、始動します。
友紀晃さん自身、この空間をつくった時点では、「この後どうしたらいいかは、全然わからなかった」と言います。
人が集まる場所はできた。でも、その場所で何が起きるのかは、まだ見えていなかった。そんな中、久美さんがふとひらめいたのが、工場から出る廃材を使ったアップサイクルでした。
「これ、なんかできへんかな?」何気ない会話から生まれたアイデアが、少しずつ形になり発展していきます。次々に色々なことを言い出す久美さんは、社内で“(親しみを込めて、笑)ひらめきオバケ”と呼ばれているそうです。
でも、久美さん自身、自分を特別だとはまったく思っていない。「やりたいからやってるだけなんです。」そう笑う姿が、とても自然でした。
また、印象的だったのが、どれだけ活動が広がっても、“子どもファースト”の軸を崩さないこと。会食は基本的に近場だけ。受験期間中は仕事をセーブする。
「どれだけ仕事が楽しくても、子どもが崩れたら全部うまくいかなくなると思ってるんです。」
“仕事を頑張る女性”というより、“人生全体を大事にしながら仕事と向き合っている女性”。そんな印象でした。
友紀晃さんが“場”をつくり、久美さんがそこへ“意味”や“物語”を吹き込んでいく。
お2人の地に足の着いた感覚と、阿吽の呼吸が、まさに唯一無二の“夫婦力”なのだろうと思います。


「何もかも予想外」だった数年間
このようにして、2022年完成以降、驚くほどの変化を遂げてきた田村商店。万博関連プロジェクト、企業コラボ、地域連携、学生との交流、メディア出演。活動の領域は瞬く間に広がっていきます。
お2人は、今の田村商店やTEPPENの姿を、「何もかも予想外でした…まったく想像していませんでした。」と言います。特に久美さんは、もともと専業主婦。「まさか自分が、事業を立ち上げて、代表として喋るなんて思ってなかった。人生何が起こるかわかりませんね。」と。
こういった変化の連鎖は、決して”狙って作ったものではない”のが、お2人らしいと感じます。全ては偶然(必然)の積み重ね。
美想空間が運営するKLASI COLLEGEで開催された「カタログのないものづくり展vol.4」への出展も、その偶然(必然)のひとつでした。
そこで大阪ギフトショー関係者と出会い、展示会出展へ発展。2023年には、「田村商店オフィスコンバージョン」が日本空間デザイン賞 Longlist(入選)にも選出され、さらにそこから企業案件や万博関連プロジェクトへとつながっていったそうです。
町工場リノベーションという枠を超え、“ものづくりの現場をどう社会へ開いていくか”という挑戦そのものが次々と偶然(必然)を生み、評価されたのかもしれません。
現在では、鉄廃材を活用したインフォメーションボードを天王寺動物園へ寄贈するなど、“鉄工所の技術”を地域へ還元する活動にも広がっています。
「面白そう」「やってみたい」、その感覚を大事にしながら動いていたら、結果的に人が集まり次のプロジェクトが生まれていった。だからこそ、どの活動にも熱量があるのだろうと感じました。


「働くって、楽しそう」を見せたい
お2人がTEPPENを通して伝えたいことは、単なる“アップサイクル”ではなく、ものづくりの価値、働くことの面白さ
人と人がつながること、そして、“希望”。そういったものなのではないか、と感じました。
「疲れた大人ばっかり見てたら、子どもも働きたくなくなると思うんです。」とおっしゃった言葉も、とても印象に残っています。
実際、田村商店のSNSやテレビ出演を見た若者から、「ものづくりって楽しそうだと思って、金属加工会社に就職しました」と連絡が来たこともあったそうです。また、学生インターンや見学に来た子たちが、ここでの時間を通して、自分の進路や“働くこと”を考え直していく場面も増えていると言います。
今の学生たちは、条件だけで会社を選んでいるわけではありません。
どんな人が働いているのか。
どんな空気が流れているのか。
その会社で働く未来を想像できるか。
そういう“感覚”を、とても見ている。
だからこそ、夫婦で悩みながら、笑いながら、次々と新しいことへ挑戦している田村商店の姿に、人は惹きつけられているのだと思います。
TEPPENがやっているのは、単に“鉄を加工する”ことではない。ものづくりを通して、人の気持ちや未来まで少しずつ動かしていくこと。そんな活動なのかもしれません。


空間が育てる「未来の可能性」
美想空間としても、このプロジェクトはとても象徴的な事例です。
単に“理想の空間”をつくるだけでは、ここまでの変化は生まれなかったと思います。
その場所に、どんな思いがあるのか。どんな人がいて、どんな未来を描いているのか。
そこまで含めて編集することで、空間は初めて“生きた場”になっていく。そして、その場に人が集まり、関係が生まれ、新しい挑戦が始まる。
リノベーションとは、完成で終わるものではなく、“未来の可能性を育てる起点”なのかもしれません。
田村商店のプロジェクトは、そのことをあらためて感じさせてくれる事例でした。
九条の町工場から始まった、小さな変化。
今、その変化は、“働くこと”そのものの価値観へ、少しずつ広がり始めています。
数年後、この場所がどんな景色になっているのか。またぜひ、取材させていただきたいと思いました。
田村商店の皆さん、友紀晃さん・久美さん、ありがとうございました!
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